ニートを目指して三千里 ひねくれ女子の小言日記

ニートを目指すひねくれ者が日々のうっぷんを書いたり書かなかったりするやつ

人への伝え方。

 

人にえらそうにできる人は、

どんな権利を持ってえらそうにできるのだろう、

と常々思う。

 

電車の中で知らない人に大声で説教垂れる人。

以前こんなことあがあった。

Aさんに優先席を譲ったBさんで完結する話なのに、

そこへ関係のないCさんが、Aさんに対して大声で、

「席譲ってもらったんならお礼くらいしろや!!お礼したんか!!!」

と怒鳴っていた。

 

Aさんは、声をだして「ありがとうございました」と言って、

Bさんも、いえいえという感じでその場はまぁ収まったけど、

AさんもBさんもも居心地は悪そうだった。

 

私にはAさんとBさんの間だけで完結しているように見えた。

もし、Bさんがお礼を望んでいて、Cさんが代弁したのであれば、

私の勘違いになるかもしれないけど、

それにしたって怒鳴る必要はないと思うし、

Aさんも譲ってもらったことに会釈していて、

Bさんも特にお礼をされたいから席を譲ったわけではないと思う。

 

こんな事があって、

Cさんみたいな人がいると思うと、外へ出たくない。

なんて私は単純に思ってしまう。引きこもっていたい。と思ってしまう。

 

怖いのか、悲しいのか、

自分の信じていること、望んでいることと違うモノを見ると、

すぐに生きるのがつらいと思ってしまう。

 

きっとそんなことを言うと、

甘えだ、現実は厳しい、現実を見ろ。

なんて言われるのだろうな。

 

そんなことを想像して、さらに外に出たくなくなる。

とはいえ、

買い物も行くし、ヨガも行くし、友人と遊びに行くけどね。

 

怒鳴る人なんて気にしなければいいのだろうけど、

私は「人間」そのものに過度な期待を持っているのかもしれない。

 

言葉を言いように変えれば、「私は人間を信じてる」のだろう。

そして、勝手に信じて、勝手に失望して、勝手に裏切られたと感じてる。

 

人間なんてろくでもないことも知っているのだけどな。

 

アドバイスをする人

アドバイスを求めている人に、アドバイスをするのは、わかる。

そのアドバイスが、

あってようが、なかろうが、

有益だろうがなかろうが、

求められてアドバイスをするのはいいと思う。

 

質問をされて答えるのもわかる。

 

でも、求められてもいないのに、

あーしたら、こーしたらというのはどうだろうか。

 

そのアドバイスが有益であればいいけれど、

そのアドバイスの内容は当人も素に考えていて、

その上で悩んでいるとしたら、どうだろうか。

 

それはおせっかいじゃないだろうか。

 

そこに共感が入っているならいい。

 

「こーしたらと思うけど、

これこれな理由があるし、こんな風に考えちゃうし、なかなか難しいよね。」

とかなら、わかる。

あー、わかってもらえてる。となる。

そう!そうなの!

だからこーしたいけど、できないの!

だけどこーしたいと思ってるの!

と心穏やかにすごせる。

 

その共感があってなくても、

わかってくれようとしていると感じるから、

「それもあるけど、こーも考えちゃうんだ」

と自分の気持ちも伝える事ができる。

 

だけど、共感のないアドバイスの押し付けみたいなこともよくある。

「え、そんなの、あーすればいいじゃん」とか、

「それって、こーゆーことですよね(違う)。だったらこれをすれば」とか、

「私はこー思うし、これが正しいし、こーしろ」とか、

「そんな風にしてるからダメなんだよ、こーすればいい」とか。

 

当人を無視してるアドバイスをする人はどんな気持ちなのだろうか。

その人がアドバイスを求めているかもわからないのに。

 

人間は情報の数%しかキャッチしないとかそんな話があった気がする。

 

アドバイスをする人は、

相手の話を自分の都合よく解釈して、

相手を理解した気になって、

アドバイスをするのかもしれない。

 

中には、どんなアドバイスでも欲しい!という人もいるだろうし、

そんな人にはいいのかもしれないけれど、

中には、(無益な)アドバイスはいらないと思う人もいる。

 

アドバイスをするのであれば、

アドバイスを求めるタイプかどうかも考慮してほしいなとか思う。

 

なんて書いている私も昔はこんなこといちいち考えていなかったし、

えらそうにアドバイスじみたことしてた気がするし、

しかもそのアドバイスが的外れだった気もするし。

 

そんな感じなのかな?

アドバイスする側は、そんなにアドバイスされる側のことを考えていないのかな。

 

 

ところでここでも、「人間への信頼」がでてくる。

「人間は他人のことも考えている」みたいな期待をしてしまっていて、

それにそぐわない行動を見て、

勝手に凹んだりしているんだろうな。

疲れる生き方してるな、私。

 

でも、アドバイスは今のところいりません。

思いつくことは一通りやったし、

やってないことはやりたくないことなので。

これは画期的だぜ!ってことがあればもちろん知りたいけど、

そんな甘い話もないことも最近は理解するようになりました。

 

話は聞いて欲しい。アドバイスはいらない。

先にも書いたように、私は基本、アドバイスはいらない。

もらう助言は大体自分で考えていることの範疇になると思っているからだ。

 

傲慢かな?

自信家かな?

 

でも、昔から、考えることをやめることができなくて、

自分でいうのもなんだけど、

結構広い範囲で、自分で自分にアドバイスができるようになった。

 

自分で思いつかないアドバイスをくれそうな人、

自分にない視点のアドバイスをくれそうな人のアドバイスは欲しい。

 

でもそれ以外は、

話を聞いてもらったり、物理的に助けてもらったりしたい。

 

私は、相談するのであれば、アドバイスを貰えるのであれば、

画期的な返答とか、気分が軽く楽になるもの以外はいらないと思ってしまう。

 

私がアドバイスを求めないのは、

私の心が広くはないからってのもある。

 

例えばアドバイスをされて、

そのアドバイスが自分の予測の範囲内だと、

ショックを受けてしまうのだ。

こんなもんか、と思ってしまう。

 

アドバイスという好意を、失望で返すようなもんだ。

 

自分がそーなりたくないから、

アドバイスはほしくないと思う。

 

どんなアドバイスでも受け止められるような広い心を持ってれば、

こんなひねくれたことを思わなくていいのかもしれないけど、

いまのところ、これが自分なわけで。

 

そんな自分とうまく付き合うしかないわけで。

 

これが私なりの付き合い方なんだな。

もっといい方法があるかもしれないけど、

心を広くすればいいと言われてもどうやって?なわけで、

気長に自分の成長を期待しておきます(笑)

 

 

オピニオン記事

絶対とか、こーであるとか、

そんな風な書き方をした方がアクセスが伸びる。

そうゆうテクニックで、断言系の記事を書いているのなら、

私もそうだと割り切ろう。

 

でもそうでない押し付けなオピニオン記事を読むと、

これを書いている人はどんな権利(?)で主張をしているのかな、

と思ってしまう。

 

私は、こう思う、こう考える。

ならわかる。

 

でも、皆こうだ!世間はこうだ!世の中はこうだ!

と決めつけるのはどうだろうか。

前提に、「私の意見」があるならいい。

けどそれがないと、読んでいて不快になる。

 

自分と意見の違う、押し付け文を読んでも不快になる。

こーしたほうがいい!こーすべきだ!それ以外は間違い!

みたいな。

勝手に間違いにされて、馬鹿にされてるって感じることもある。

 

まぁ、ブログなんて気に入らなければ読まなければいいし、

その読むか否かの権利はこちらにあるし、

ブログはそもそも好きに書く場だから、

私がとやかく言うのもどんな権利があってという話になるけど。

 

こうゆうときだけ、

ブログは好きに書く場だから、

私も好きに書きます。

 

と都合よく対処させていただきます。

 

そして当ブログは全部「私はこう思う、考える」の前提で書かれている、

個人の意見でございます。

 

心理学によれば

いろいろ書いたけど、心理学によれば、

「人の嫌なところは、自分も同じものを持っているからこそ嫌だと感じるのだ」、

みたいな話があるから、

私もそうゆうことをしているかもしれない。

 

偉そうなことを言う人が嫌いということは、

私も誰かしらに偉そうにしているのかもしれない。

 

馬鹿にする人が嫌いということは、

私もどこかで人を馬鹿にしているのかもしれない。

 

こーすべきだ!が嫌いなのに、

アドバイスは相手の状況をみてからにすべきだ!

って主張してるしね。

 

難しいね。

 

どっちも受け入れられる心が欲しい。

さらっと流せる心がほしい。

 

思えば、

アドバイスされていると感じているのは私で、

相手はアドバイスしている気もなくて、

ただこーしたらという自分の意見を主張しているだけなのだろうか。

 

だったら、

「こーすればいい」「こーしたほうがいい」じゃなくて、

「こーするといいと思う」くらいの伝え方にしてもらえると私は嬉しいです。

私も、

「(私は)こーしたほうがいい(と思う)」と捉えられるよう意識します。