もし神さまがいるのなら

もしもし神さまいるのなら 聞きたいことがたくさんあるんです

自分に言い聞かせてるとこはある

 

いろんな主張を書いてきたけど、

どれも、自分に言い聞かせるために書いてると言っても過言ではない。

 

とくに、昨日の懺悔記事なんか正にそれだと思う。

hinekurechan.hatenablog.com

 

自分に自信がないからなのか、

他者からの後押しが欲しいのか、

記事を書くことによって、

認められたいのだと思う。

認めてもらうことで、許されたいのだと思う。

 

何に許されたいのかは、わからないけど、

そんな気持ちを心のどこかで常に抱いているような感じがする。

 

 

自分が間違っているとは思わないけど、

自分ではない誰かにも、「間違ってないよ」という太鼓判を押してもらいたいのだ。

 

そしてできるなら、

私より考えがしっかりしている人に肯定してもらいたいと思ってしまう。

 

自分は一人じゃないと思いたいのかもしれない。

 

違う考え方もあるのはわかるし、

その考えを否定しようと思わないように、

たとえ私の考えだとしても、

「否定されていいものではない」というのは頭ではわかる。

 

もし、否定する人がいたとしても、

それは考え方の違いというだけで、

否定を間に受けることはないんだろうとも思う。

 

違う考えを主張されたとしても、

それは私の考えが否定されたことにはならないこともわかる。

(中には否定の意思を含むものもあるだろうけど)

 

違う考えを主張されたら、

その取り入れてもいいし、

取り入れなくてもいい。

その考えを否定しないけど、

自分の考えをなくすこともない。

 

 

押し付けとか否定することは別にして、

考えは考えの1つに過ぎない。

 

というのもひとつの考えだけど。

 

 

自分の考えが納得できるもので自信があればいいけど、

抱いている考えの全てに確証を持ってるわけではないから、

不安になるんだろうな。

 

自分の考えを持つことはいいことだと思うけど、

自分の考えが絶対とは思わないし、

思いたくもない。

 

かといって、他者の後押しがないと、

心もとない。

 

なんかまとまりがなくなってきたけど、ようは、

こうやって記事を書くことで、

他者に自分の考えを理解、あるいは肯定してもらいたいんだろうと思う。

 

たとえ肯定されないとしても、

考えを言語化することで、

自分で自分を肯定しようとしているんだろうな。

それはつまりは、自分に言い聞かせているようなもので。

 

結論でもなんでもないけど、

ブログを通して自分を肯定しようとしているのかもしれないなって書いていて思った。

 

落ちが見つからないので、今日の記事はここらで終わります。

 

 

こんな私と話してみたいという方いらっしゃれば、

電話相談はじめたので、ツイッターのDM(@hinekure_chanto)から、依頼・お問い合わせください。

まだ試行錯誤の段階なので、それをご了承いただける方がもしいらっしゃればになりますが・・・

是非ともお待ちしています。

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