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特別でありたい欲求

 

特別でありたい欲求。

大抵、誰でもあるものなんじゃないかな。

 

少なからず、私にはある。ずっとある。

 

有名になりたい、とか。

成功したい、とか。

そんな気持ちがあるから、ブログをはじめたのかもしれない。

 

なんとなくはじめたというのも、本当。

愚痴を吐き出せる場所が欲しかったのも、本当。

でも、もしかしたら、

「私も特別になれるかもしれない」

という、淡い期待を抱いていたのも、本当。

 

成功している人とか有名な人だって、

運とか、才能とか、打ち込める熱量とか、

そうゆうのもあったと思うけど、

有名になるまでの、成功するまでの、

下積みだとか、努力だとか、準備だとか、

あっただろう。

 

でも私は、

有名になってから、成功してからの彼らしか知らないから、

私にも運さえあれば、才能さえあれば、

なんて思ってしまう。

下積みなんて、なかったことにしてしまう。

 

 

中には、

「ただそれをやっていたら、いつの間にか認められました。」

と、認められることには興味なく、ただそれをやれていることが幸せ、

なんて風に見える人もいる。

「人に認められるためじゃなくて、自分がしたいからやっているだけ」

という人がいる。

 

私だって、やっているだけで幸せだと思えるような、

熱中できることが欲しい。

認められることに興味を抱くこともなく、

やってるだけで楽しいと思いたい。

人の評価なんて気にしないような、彼らのようになりたい。

 

きっと、そんな彼らだって、評価を気にすることはあると思う。

でもそれ以上に、それをやることの方が大切で、楽しくて、幸せなんだろう。

私はそんな彼らじゃないから、わからないけど。

それでも私はそんな彼らのような特別になりたい。

 

でも、そんな彼らにはなれない。

そんな風に打ち込めるものもない。

打ち込む振りはできる。好きな振りはできる。

でも、それさえできれば幸せなんて熱中することには出会えてないし、

これからも出会わないんだろうと、思ってしまう。

 

何か私にも、そんな熱中できるものがあるはず、きっとまだ出会ってないだけ。

なんて昔は思ってた。

ただ、熱中できる人に憧れていただけだ。

自分はそうじゃない、特別じゃないと認めるのが怖かった。

 

今は逆の、その期待をする方が疲れてしまう。

私は凡人だ。わかっていた。

凡人なら、凡人ができることをするしかない。

わかっている。

 

でも、特別になりたい欲求も、

もしかしたら、なんて淡い期待も、

なくなったわけではない。

 

熱中できない私にとって、

特別になりたいという欲求は、

原動力の一つではある。

 

今は、報われるかもわからないその想いを糧にして、

できることをするしかない。

と、

とりあえず、できることをやる。

 

それは悪いことじゃない。

特別じゃないことは、悪いことじゃない。

ただ、私が特別を望んでいるというだけだ。

 

 

特別になりたいとは思うくせに、

特別になるために頑張りたくはない。

だって、特別ってはじめから特別じゃん。

と、駄々をこねているだけだ。

 

凡人が特別になるためには、

凡人にやれることをしていくしかない。

それでも特別になれるかわからないけど、

わからないからこそ、

特別になるまでできることをしたから、

特別になることができるのだろう。

 

 

10年継続できたら、それは特別なのだろうか。

どれくらいの人に認められたら、特別なのだろうか。

 

特別って、何だろうか。

 

みんな特別、特別じゃない人なんていない。

そんなことが聞きたいんじゃない。

 

私が私しかいないのもわかっている。

でも今話してるのは、そうじゃない。

 

きっと、特別でありたいと思う根底にあるのは、

承認欲求なのだろう。

 

認められたい。

認められて、安心したい。

 

大丈夫だと。

私は求めてもらえてる、私には存在意味がある、と。

私はここにいていいのだと。

 

それを心理学的に言えば、

劣等感とか、無価値感が原因となのかもしれない。

幼少期の認められなかった経験を、

大人になった今も拭えていないのしれない。

 

でも、そんなことはどうでもいい。

たとえ、劣等感とか無価値感があったとしても、

特別になりたいと思う欲求を私は満たしたい。

たとえそれが、劣等感とか無価値感を埋めるための望みだとしても、

特別になりたい気持ちがあることに変わりはない。

 

 

特別になりたい。

その気持ちは無くそうと思ってもなくせなかった。

 

特別になりたいと思うことを、

痛いだとか、

ダサいだとか、

かっこ悪いだとか、

どうせ口だけとか、

と斜に構えたこともあった。

多分、そんな自分はちょっと特別な気持ちになれたんだと思う。

 

どうせ叶わないのに特別になりたいと思うことは、

馬鹿らしく、

悲しく、

悔しく、

情けなく、

そして、どうしようもなかった。

 

特別になりたいと思ってる人を見ると、居心地が悪かった。

だから斜に構えていたのだろう。

 

 

特別になりたいと思って、何が悪い。

たとえ特別になれなくても、特別になりたいという望みを私はどうせなくせない。

 

だから、凡人であることを受け入れて、

それでも、特別であることも期待して、

私は私にできることを、やってみるしかない。

 

 

この記事も、痛いのかもしれない。

でも、それなら、それで、仕方ない。

 

だってどうあがいても、

私にできることは、私にできることだけなんだから。

 

 

 

 

 

 

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